題材は、身の回りに山ほどあるし、一生追求し続けても描ききれないほどです。
芽吹きの時
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冬芽
(上) カエデ ・ フジ
(中) ユリノキ ・ オニグルミ ・ アジサイ
(下) ソメイヨシノ ・ ブルーベリー
花の時、実を付ける時
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冬芽
(上) カエデ ・ フジ
(中) ユリノキ ・ オニグルミ ・ アジサイ
(下) ソメイヨシノ ・ ブルーベリー
私は植物画を始めた頃から、枯れた植物に強く惹かれていた。
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まず、じっくり観察できることが良い。生き生きした植物を描くことは、時間との戦いという一面があるからだ。
私が銀座に出かけると必ず寄るお店がある。銀座松屋の裏、山野草専門店「野の花 司(つかさ)」
今回の作品は数年前そこで求めた樹木の枝2点である。
絶滅危惧種に入っているナツハゼ。落葉低木で、夏にハゼノキのような紅葉が見られることから名付けられた。
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果実は10月~11月に黒く熟す。甘酸っぱいため生で食べれる。
リンゴに近縁の野生種のエゾノコリンゴ。ズミによく似ているが葉に切れ込みがない。
初めてここに入店した時、大都会から急に山野に足を踏み入れたようだった。小さなお店だけれど、そこだけ別世界が広がり空気も違う。店内を見渡すと普通の花材店ではまず見られない植物ばかり。
「野の花 司」のような山野草に特化された生花店は都会には大変少なく、本当に貴重な存在だ。
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ノイバラは日本の野生のバラの代表。花期は5月。白または淡ピンクの花弁の可憐な一重咲きで秋に実がなる。暑さ、寒さ、乾燥にも強く刈り込まれてもすぐに芽を出すたくましさを持つ。バラの園芸品種に房咲き性をもたらした原種。
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ムラサキシキブは林のへりなどに多く、秋に紫色の実をつける。名の由来は、平安時代の女性作家「紫式部」ともいわれるが、もともとはムラサキシキミと呼ばれていたのが、ムラサキシキブになったという。シキミとは実がたくさんなるという意味だ。
前回ご紹介した徒然草に「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」とつづられているが、私も花は満開の時のみをめでるのでなく、芽吹きの時、花の時、実をつける時、枯れゆく時、それぞれに独特の美しさがあり、それぞれの美しさを深く味わいたいと思っている。
秋が深くなると赤々していた実の表情も微妙に色抜けし、渋く落ち着いた色に変化してくる。
今回はサルトリイバラ科に属する二つの植物を載せてみた。
サルトリイバラは晩秋の大磯町生沢で採集したもの。雌雄異株で、秋に直径7mmの球形の液果が赤く熟す。関西では柏餅を包むのに用いたり、戦時中は葉を巻いてタバコの替わりにしたそうだ。
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イタリアンベリー(ヨーロッパ南部原産 常緑木本性ツル性)との出会いは鎌倉の花屋さんだった。ドライにして天井からぶら下げてあったイタリアンベリーに心惹かれ 描いたものだ。
以上2つの植物はツル性木本(モクホン)であること、小さなトゲがあること、実が放射状につく点など共通点が多く、同じ科に属するということが頷ける。
私は植物分類学をちゃんと学んだわけではないが、色々な植物に触れているうちに、同じ仲間の植物だということはなんとなく予想がついてくるものだと感じている。
今回の2点は生徒さんからいただいた題材を描いたボタニカルアート(植物画)である。
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お客様から絵の注文を受け、エビヅルを描こうと思ったその年、いつもの採集場所はすでに刈り取られ、散歩コースでもみつけられず。教室の生徒さん達にエビヅルがないかと訴えたら、平塚在住のNさんが、大きなビニール袋いっぱいに見事なエビヅルを採集してきてくださった。それを自然に枯らして描かせていただいた。
大磯の郷土資料館で講師をしていたころ、生徒さん二人が住む小田原より少し先の根府川を訪ねたことがあった。12月にしては暖かく感じた。海のすぐそばを山が繋がり、ゆっくり散策しながら 様々な植物を観察できた。一人の生徒さんのお宅についた時、お庭の墨田の花火にくぎ付けとなった。アジサイといえば6月が旬だが、冬、木に残ったままのアジサイ。自然が醸し出す色彩の魔術のなんと美しかったことか!
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昔から大磯にお住まいの生徒さんのお庭も観察させていただいたことがある。お庭には野草も含めて、たくさんの植物を育てておられた。その中にワタがあり、初めてワタが土に育つ姿をみることができた。それを採集させていただき枯らして作品にした。
いよいよ今年最後の記事となりました。今年2月8日からはじまったこのブログを応援してくださった皆様本当にありがとうございました。また、ブログに協力してくれるプロジェクトチームのメンバーにも、心からの感謝をささげたいと思います。
今年は毎月8の付く日に更新を続けてきました。来年からは、もっとゆっくりしたペースになりますが、少しずつ作品アップを続けていきたいと思います。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
良いお年をお迎えください。
ボタニカルアートと枯れた植物の魅力 〈4-1〉
(江ノ電沿線新聞 2009年9月1日掲載より)
私は、毎日植物画を描いています。植物画(ボタニカルアート)とは、植物の肖像画ともいわれています。植物学的にみても正確で、芸術的にも美しいことが要求されます。というと難しそうに思えますが、植物に興味・関心があって、植物画が大好きな人ならだれでも描くことができます。まず、よく観察することです。観察すればするほど、描けば描くほど、植物の造形の美しさ、バランスの良さ、色の微妙さなど、新しい発見があり、感動があります。植物の形は、長い年月をかけた進化の果ての必然の形であり、葉1枚、花1輪の表情があなどれない奥深さを持っています。このことは、じっくりと植物と向き合い、観察し、デッサンすることで、初めて実感できると思います。
次号へ続く(4ヶ月に渡って「ボタニカルアートと枯れた植物の魅力」を掲載します)
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名前の由来は、材質が強い上によくしなる為、古来より弓の材料として知られていたことによる。現在は印鑑や櫛の材になっている。大磯の林で12月頃見つけた一枝を絵にしたもの。
何事もそうであるが、いくら周りに植物があっても、それを意識しなければ目に入ってこない。しかし、植物は人間が意識するしないにかかわらず、黙々と営みを続け人間に有形、無形の恩恵を施してくれている。
最近読んだ本「植物は知性を持っている」(NHK出版 久保耕司翻訳)によると、植物をそばに置いておくことでストレスの軽減、注意力の増大、病気からの早い回復といった効果があることが、研究でわかったそうである。私が絵を描く時感じる満足感は、植物が与えてくださっているに違いない。
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初夏に小さい白い花が咲き、秋に直径数ミリの果実が熟すと同時にその根元の枝が同じくらいにふくらんで、ナシのように甘くなり食べられるそうだ。残念ながら、私はまだ食べてみたことがない
ちょうど今から30年前学んだカルチャーセンターで、ボタニカルアートとは植物の典型的な最も美しい状態を絵にすると教えられた。色々植物を描いていくうちに、私はだんだん枯れた植物も描きたくなってきた。どうしても描きたくて描いたのがブログで2016年3月18日UPのジュズダマだった。描いてみると、色といい形といい自分の感性にぴったりときて描いていてすごく楽しかった。枯れてもなお美しさを感じさせてくれる植物の凄さもつくづく感じたのだった。
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アオツヅラフジはツル性落葉木本。雌雄異株。秋、ブドウのように6から8ミリの球状の果実が緑色から粉をふいた青色に房状に熟すが有毒である。ツルを利用しカゴを編んだりする。別名カミエビの呼び名もある。
古来から日本に「侘び(わび)寂(さび)枯淡の美」という美意識がある。「枯淡」を辞書で引くと「淡々とした中にも深みのあるさま」とある。枯れた植物は、まさにその枯淡の美を体現してくれているが、実際枯れた植物を描く時も、水彩絵の具を2、3色混ぜ、水をたっぷり混ぜうんと淡くしてハーフトーンで塗る。
古代イスラエルの栄光の時代を築いたダビデ王の子として生まれたソロモン王の言葉をテレビの歴史番組で知り急いでメモに書き留めた。同じことを感じていた人がいたことを知りすごく嬉しかった。
最近読んだ「より少ない生き方」ジョシュア・ベッカー著(かんき出版)の中でソロモン王のことが書かれているのを見つけた。ソロモン王は同時代のどの王より莫大な富を築き、快楽の限りをつくしたという。しかしソロモン王は人生の終りの日記に「すべてが風を追いかけるようなものだった」と心情を吐露したという。きっとそんな中で「この世で一番美しいものは、枯れた植物である」という言葉を残したのだと思う。以下はあくまで私個人の解釈だが...「植物はその場所から動けない。その場で起こるありとあらゆることを受け止めながら精一杯生きて種を作り、枯れていくありのままの淡々とした植物の生き様と姿に美しさを感じたのではないか」と思っている。
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植物には、人間にとって毒になる成分を含むものもある。特に、ナス科、キンポウゲ科、ケシ科、トウダイグサ科には毒草が多い。
用い方によっては薬になるものもある。ナス科のホオズキの根には、子宮を収縮させる成分ヒストニンが含まれている。江戸時代には堕胎薬として使われていたという。
稲垣栄洋著「怖くて眠れなくなる植物学」(PHP)によると、昔の農家では、イネ刈りの繁忙期、農家の嫁が妊娠していると人手が足りなくなってしまうので七夕の頃、ホオズキの根を煎じて飲ませたという。これを読んだ時、「昔はそんなことがあったのか・・・知らなかった・・・」と、息が詰まってしまった。