ボタニカルアートと枯れた植物の魅力 〈4ー2〉
(江ノ電沿線新聞 2009年9月1日掲載より)
描いてみたい植物を採集し、観察して描くことは、心に深い満足感をもたらし、心を元気にしてくれると、私は日々実感しています。実は、私たちは植物というお宝に囲まれて生きているといえるでしょう。植物の中には、切り花にすると、あっという間にしおれてしまうものもあるので、デッサンは時間との闘いという一面があります。しかし、生き生きした植物に比べ、枯れた植物は時間を気にせず、じっくり観察することができます。
次号へ続く(4ヶ月に渡り「ボタニカルアートと枯れた植物の魅力」を掲載中です)
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名前の由来は、材質が強い上によくしなる為、古来より弓の材料として知られていたことによる。現在は印鑑や櫛の材になっている。大磯の林で12月頃見つけた一枝を絵にしたもの。
何事もそうであるが、いくら周りに植物があっても、それを意識しなければ目に入ってこない。しかし、植物は人間が意識するしないにかかわらず、黙々と営みを続け人間に有形、無形の恩恵を施してくれている。
最近読んだ本「植物は知性を持っている」(NHK出版 久保耕司翻訳)によると、植物をそばに置いておくことでストレスの軽減、注意力の増大、病気からの早い回復といった効果があることが、研究でわかったそうである。私が絵を描く時感じる満足感は、植物が与えてくださっているに違いない。
お読みいただきまして ありがとうございます。
来月もお楽しみに!
千鶴.
コメント
コメント一覧 (7)
明けましておめでとうございます。素敵なコメントありがとうございました!亡き主人と共に長後中でご縁があったなんて感慨深いです。ドライフラワーをされているということですが、私も枯れた植物が大好きなのでドライフラワーにもとても魅力を感じます。植物と接しているととても癒されることは私も日々実感しています。
ブログ、これからもよろしくお願いいたします。
母が先生の生徒であり、実は私も先生の生徒でした。
新卒の浅井先生に、中2の私は美術を指導して頂きました。
松本先生にも理科を指導して頂きました。
お懐かしゅうございます。
先生の画と先生がそれと出会うまでに道のりを、母から聞いておりました。先生の描く絵の対象は、野草であったり枯れた花であったり、私のボタニカルアートに持っていたイメージを、良い意味で大きく変えるものでした。立ち止まって見なければ、気がつかない小さな命に向ける眼差し。深い愛を感じます。
度の強いメガネの奥の松本先生の優しい眼差し、浅井先生の作品を通して感じられます。大きな愛です。
私は、ドライフラワーに生花とは違う命を感じ、それに魅せられて10年目になります。
花に向き合うと人々は笑顔になり、癒されていきます。
それを感じる私自身が一番癒されているのだと思っております。
実家に帰省して、先生のブログの存在を知りました。
これから度々訪問させていただきます。
また、作品展には母と伺わせていただきます。
マスクとメガネが必携です。でも毎日成長している「芽や蕾たち」を
見て回るのは、とても楽しいものです。このブログの昨年3月にも、
「木の芽」が掲載されていたのを思い出し、拍手をお送りしました。(^O^)
4月の生徒作品展にも、お邪魔することを楽しみにしています。草々
草々さんの枯れた植物に対するするあたたかい眼差しや、
今の時期の自然の微妙な変化を感じ取っておられる様子が伝わってきました。
素敵なコメントありがとうございました。
そして、次につなげてゆく潔さも感じてしまう時があります。
この時期、近くのサクラ、アジサイ、ドウダンツツジの芽や蕾が日に日に
膨らんでいるのを見ると「頑張れよ」と声をかけてしまいます。
植物の力を実感しておられるのですね。
いつも素敵なコメントをありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。
植物の持つ力は本当に凄いものだなあって思います。思い出のあらゆる場面で植物が心に残っています。喜びは何倍にも、悲しみや辛さは半分してくれたのは植物の力ですね。いつも、心に残る出会いをありがとうございます。次回を楽しみにしています。